渡辺美術館スタッフがイベント情報、日々の出来事から日常の悲喜交々をつづる!!!
 
先日の火曜日

JUGEMテーマ:古美術・骨董・アンティーク

 

記念撮影とか行うスペースの改装を行いました。

 

 

床もいじったりしました…

 

 

甲冑も一時的に移動w

 

その後再設置しました。

 

どのようになったかは…見に来てくださいw

 

(い)

【2016.07.29 Friday 12:13】 author : watartid
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あとわずかですよ!

JUGEMテーマ:つぶやき。

 

 今月に入ってから同館にて開催中の

 

  「合戦屏風名品展」

 

も、7月4日(月)の閉幕まで残すところあとわずかとなりました。

 

 

 この展示、なんといっても目玉は「関ヶ原合戦図屏風」です。

 当館屈指のお宝であるこの作品は、現存する他の関ヶ原の戦いを描いた屏風とくらべ、珍しい構図で描かれていることから高い評価を受けています。

 そのため、全国各地の博物館/美術館からも貸してほしいという依頼が少なからずあり、必ずしも渡辺美術館にいつも置かれているわけではありません。

 

 なので、せっかくホームの渡辺美術館にあるこの機会に、ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか?

(米)

 

【2016.06.26 Sunday 16:55】 author : watartid
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Facebookページ・・・
JUGEMテーマ:facebook

現在当館ではこのブログをツイッターに連携させてます。

さらに、Facebookにも連携させていますが…

記事が個人ページのほうに飛んでおり、作ったfacebookページには飛んでいない様子。(仕様かな?)

しかも非公式のFacebookページがあり、統合したいところ。

う〜ん・・・

(い)
 
【2016.06.08 Wednesday 16:20】 author : watartid
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今思えば、あれが噂の「刀剣女子」?


 当館もツイッターをはじめたそうです。ところで、ツイッターとは一体どのような仕組みのものなのでしょうか?
 未だにツイッターやらSNSやらがまったく理解できていない、情報化社会の難民・米倉です(苦笑)。

 ところで、世間では「刀剣女子」なる若い女性が増えているとかで、先日当館もそれに関連した取材をNHKから受けました(後日、夕方の地方ニュースで流されました)。
 このような若い女性が増える起爆剤となったのが「刀剣乱舞」なるオンラインゲーム(テレビに三色端子を差し込む家庭用ゲーム機とゲームボーイしかしたことがない米倉には未知の世界)とのことです。

 米倉は最近のゲームやアニメなどについて疎く、これがかなりのブームになっているとは知りませんでした。

 また刀剣についても、米倉は三種の神器の一つ「草薙剣(天叢雲剣 あめのむらくものつるぎ)」、代々皇太子に伝わる「壺切御剣 つぼきりのみつるぎの二つくらいしかすぐに出ない程度の知識しかありません。
 そうそう、実はその草薙剣を祀る名古屋市の熱田神宮には、今年の3月25日に訪れています。

熱田神宮(筆者撮影)


 境内を歩いていると宝物館があったので、入ってみました。米倉は同神宮の遷宮の際、宮司以下が列を連ねて遷座に従う姿を描いた屏風に見入っていましたが、高校〜大学生くらいの年頃でしょうか、若い女性の3人組が刀剣の展示ケースを興奮しながら見ていたのを記憶しています。
 なるほど、今思えば(会話の内容を察するに)恐らくあれが噂の「刀剣女子」だったのでしょうね…。

 なおこの日は、大阪―(名古屋経由)―長野間を結んできた特急「しなの」9/16号(在来線の最長距離特急、通称「大阪しなの」)のラストラン(涙)
 大阪から朝、9号で名古屋にやって来た米倉。同駅から折り返し最後の大阪行き・16号(グリーン車)に一人颯爽(?)と乗り込みました。

名古屋駅最後の「しなの」大阪行き表示(筆者撮影)


 定刻より、少し遅れての発車。
 45年の歩みにピリオドを打つ最後の汽笛が雄々しく、そして寂しげに車内にも聞こえてきました。11番ホームには、別れを惜しむよう手を振る多くの人の姿が…。
 米倉も陽がほとんど傾いた車窓から懸命に手を振り返します。遠く小さくなってゆくホームを見つめる先に、我が国の在来線交通網の落日を感じざるを得ませんでした。

 ……などなど、このようなことがありまして、熱田神宮宝物館で見かけた「刀剣女子」と思しき方々のことはすっかり忘れておりました。
 今後、全国の様々な場所でこのような女性を見かけることが少なからずあるのでしょうね。

(米)
【2016.05.28 Saturday 12:58】 author : watartid
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ついったー始めました
JUGEMテーマ:つぶやき。

タイトルの通りツイッターをはじめました。
とはいえ、まだ何もつぶやいていません…

公益財団法人 渡辺美術館(公式)@info_watart

です。

こちらのブログに書き込むと連動してつぶやかれる設定ですが…大丈夫かな?

(い)
【2016.05.26 Thursday 14:54】 author : watartid
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こどもの日イベント

ちょっとお公家さんの話を中断しましてイベントのご案内です。

来る5月5日(木)に当館にてイベントを行います。

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「よろいを着てみよう」
 

(よろい)を着て・(かぶと)をかぶって写真を撮ろう!

(かぶと)をかぶって子供免許証を作ろう!

              (JAF協力)

【日時】 2016年5月5日(木) 10時〜16時
【内容】 鎧着付け 先着20名・兜着用 無制限(予約不要)
【場所】 公益財団法人 渡辺美術館 一階ホール
【料金】 小学生無料 引率父兄500円
【場所】 鳥取市覚寺55番地 公益財団法人 渡辺美術館
【備考】 カメラなどはご持参下さい。甲冑や兜を着るのは子供に限らせていただきます。

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・・いかがですか?

(い)

【2016.05.02 Monday 15:20】 author : watartid
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【シリーズ】五摂家ざっくり解説
JUGEMテーマ:歴史
 
 前回、藤原忠平の死後、その子孫が忠平の長男・実頼の系統と次男・師輔の系統に分かれていったということをお話ししました。

なお、諸儀式における慣習や作法・決まりなどのいわゆる「有職故実(ゆうそくこじつ)」の面において、実頼系と師輔系では差異があり、
  実頼系を「小野宮(おののみや)流」
  師輔系を「九条流」
と言います(なお、○○流という言葉には、有職故実の流派以外にも、それぞれの家系という意味もあります)。

 円融天皇の時代、中宮には小野宮流・頼忠の娘・遵子(のぶこ)が立てられましたが、子に恵まれませんでした。対して九条流・兼家の娘で女御(平安時代以降、中宮に次ぐ天皇の妃の称号)詮子(あきこ)は皇子を授かり、この皇子が一条天皇となります。
 ここに至り、血筋からいえば本来・本流(嫡流、本家筋)であった小野宮流の力は完全に後退し、いわば傍流(分家筋)であった九条流が藤原氏の本流として、朝廷の政治を主導することとなります。
 さらに一条天皇の時代には、兼家の長男・道隆の娘・定子が皇后、同じく兼家の四男・道長の娘・彰子が中宮になり(以降、皇后と中宮は別個の存在となります)、九条流はさらなる隆盛を遂げて行きます。

 このように道長以前の時代においては、天皇と直接的な外戚関係を持っている(姉妹・娘が天皇の生母である)ことが、摂政・関白の就任条件として重視されていたと言えます。そして、直接的な外戚関係を持っていない場合は、例え実頼・頼忠のように摂政・関白に就けたとしても政治の主導権を握ることは難しいものであったようです。
 加えて、本流(嫡流)による相続という概念自体、この時代では未だ稀薄なものでした。そのようなこともあり、道長以前では特定の血筋による摂政・関白の完全な世襲化には至らなかったと考えられます。

※ このシリーズは”連続シリーズ”ではないので、間が空くことがあります。その旨ご了承ください。
(米)
【2016.04.10 Sunday 14:07】 author : watartid
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【シリーズ】五摂家ざっくり解説
JUGEMテーマ:歴史

※文中に出てくる女性の名は、いわゆる
 「有職読み」と呼ばれる音読みで通して
 構いません。

 摂政・関白の成立から、五摂家の分立までをざっくりと解説して行くシリーズの2回目です。

 前回、人臣摂政のはじめとしての藤原良房、さらに最初の関白となった藤原基経の話をしました。では今回は、基経亡き後の歴史を見て行きましょう。

 基経の後は、長男の左大臣・時平が醍醐天皇の時代に右大臣・菅原道真を失脚させ、政治の主導権を握りました。しかし、時平は摂政・関白に就くことなく没し、弟の忠平が代って台頭します。忠平は醍醐天皇の中宮(この時代は、皇后とほぼ同義)であった妹・穏子の子である朱雀・村上両天皇の時代に摂政・関白となり、この結果、忠平系が藤原氏の本流となり、時平系は衰退して行きました。

 忠平の死後、長男・実頼が後継者となりますが、実頼の娘ないし姉妹が天皇の生母となることは終生ありませんでした。
 対してその弟・師輔(もろすけ)は、自身こそ摂政・関白になることなく没しましたが、娘の安子は村上天皇の中宮となり、安子が生んだ子は冷泉天皇・円融天皇として即位しました。

 結果、安子を介して天皇家と直接的な外戚関係を持つ師輔の子たちが次々と摂政・関白に就き、以後はこの師輔系が藤原氏の本流としての地位を固めて行くこととなります(実頼系での摂政・関白就任は、実頼とその息子・頼忠のみ)。
 
 次回は、一旦休憩の回として、藤原道長一族の隆盛以前の摂政・関白に必要であった条件を再度まとめてみることとしましょう。
(米)

 
【2016.04.06 Wednesday 16:52】 author : watartid
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【シリーズ】五摂家ざっくり解説
JUGEMテーマ:歴史

 前回のブログで触れた「五摂家」について、複数回に分けて簡単ではありますが、少しお話をしてみたいと思います。「五摂家」は、

   ・「藤原五摂家」
   ・「摂家」
   ・「摂関家」
   ・「摂籙家(せつろくけ)」
   ・「執柄家(しっぺいけ)」


とも称される、朝廷内で代々摂政・関白を世襲した藤原氏の五つの家のことです。

 その藤原氏の始祖は、いうまでもなく藤原鎌足(中臣鎌足。はじめ、鎌子と称しました)です。鎌足の子・不比等(ふひと)の後は、不比等の

  長男・武智麻呂(むちまろ)の南家
  次男・房前(ふささき)の北家
  三男・宇合(うまかい)の式家
  四男・麻呂京家

に分立しました。
 平安時代に入ると、このうちの北家(ほっけ)が台頭し、残りの三家はほぼ没落しました。ちなみに江戸時代の藤原氏系のお公家さんは、ほとんどがこの北家の流れを汲む家です(あとは南家の系統がごくわずかにいるにすぎません)。

 そして、清和天皇の時代に北家の藤原良房が幼少の天皇の外祖父(母方の祖父)という立場から、摂政となりました。推古天皇の時代の聖徳太子など、皇族の摂政就任は以前にもありましたが、皇族以外の人臣からの就任はこれが初です。基経の後は、彼の兄・長良(ながら)の子で養子であった基経が継ぎ、光孝天皇の時代に最初の関白となります(ただし、”関白”の語が定着するのはもう少し後のことです)。

 基経の関白就任以降、摂政・関白の職は彼の子孫によって独占されて行きます。ただし、このころは未だ特定の一族による摂政・関白の完全な世襲化とまでは行ってはいません。
 なぜなら、摂政・関白は基本的には天皇の外戚がなるものであったからです。つまり、当代の天皇とまったく姻戚による血縁関係がない者が就任するというのは大変難しいものでした。

 では、今回はこの辺りで。次回は基経以降の摂政・関白の継承について触れながら、徐々に五摂家成立の話へと近づいて行きたいと思います。 
(米)
【2016.04.03 Sunday 12:10】 author : watartid
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公家社会最高の家柄・近衛家
JUGEMテーマ:歴史
 
 前回、近衛家熈の巻物を紹介しました。
 さて、この人物について簡単に説明をしたいと思います。

 近衛 家熈(このえ いえひろ1667―1736)は江戸時代中期、中御門天皇の時代に摂政/太政大臣を務めた公家です。父は関白/太政大臣・近衛基熈、母はその正室・常子内親王(後水尾天皇・皇女)で、号して予楽院と称しました。多才な方であったようで、多くの絵や書の作品を遺しておられます。


               近衛家熈像

 
 左の箱書きには「豫【予
に同じ】楽院近衛家熈公芳
翰   忠麿拝鑑(落款)」
とあります。
 ここに名が見える”忠麿”
とは、「水谷川 忠麿(みや
がわ ただまろ)」のことで
あると考えられます。
忠麿は近衛篤麿の子で、叔父
・水谷川忠起の養子となった
人物です。
 ちなみに兄は、戦前に首相
を務めた近衛文麿です。


 では、この近衛家とはどのような家なのでしょう?
 江戸時代はいわずもがな、前近代的な封建制/身分制の社会でした。幕府では徳川将軍を中心に、諸大名の「家格」(その家のランク)に応じた身分秩序が存在していました。そして当然ながら、諸藩の家臣団にも同様に家格に応じた身分秩序が存在していました。
 
 ですが、朝廷では幕府のそれとは比べものならないくらい、「家格」による身分秩序が厳格に適用されていたのです。その公家社会において、最上位の家格とされたのが「摂家」(せっけ)とよばれる、近衛・九条・二条・一条・鷹司(たかつかさ)の五つの家でした(いわゆる、「五摂家」です)。その中でも近衛家は、俗に五摂家の”筆頭”とも称される家柄です。

 それでは、近衛家を含めた五摂家について、また追々簡単に触れて行きます。
(米)

 
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【2016.03.26 Saturday 11:54】 author : watartid
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